あつぎ長寿庵

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【住所】神奈川県厚木市

【HP】食べログ

台風12号(ジョンダリ)が南沖で発生し本州に接近し上陸する模様。今回は珍しい軌道で台風が抜けていく。また進路予想がやや西よりに変わってきた。「ジョンダリ」とは北朝鮮が用意した台風の名前で「ひばり」の意味である。台風の名前は「台風委員会」(日本含む14カ国等が加盟)などが提案した名前があらかじめ140個用意されていて発生順につけられているらしい。北朝鮮の名付けた台風にやられるなど不覚があってはならぬ。厚木はダムの下流にある町であるし川の氾濫が心配。もしダムが決壊するくらいなら水不足になってもいいから、事前に水を放流して貯水量を減らしておいて欲しい。こちらも安易に外出しないようにくれぐれも注意するからさ。

日が暮れる頃、厚木市旭町にある蕎麦屋の長寿庵に入った。

1976年創業の老舗である。

テーブル席がメインだが、2卓座敷席もある。ビジュアルは昔ながらの蕎麦屋らしいインテリア。

右奥の2人掛けテーブル席に腰掛けた。

周りを見ると夫婦客や男性客らが定食を食べている。蕎麦屋だけど、定食屋として利用している客が多い様である。

メニューを見ると品数が多くどれにしようか迷う。店の歴史や努力を感じる。これは嬉しい迷いだ。

そば、うどん

ご飯物

定食

一品料理

蕎麦、うどん、ご飯物は大盛150円増し、超大盛250円増しと書いてある。

超大盛」が凄く気になる。

この店は蕎麦がメインなので、まずは蕎麦を頼み気になる超大盛でお願いした。気のせいか給仕のおばちゃんがニヤリと笑みを浮かべた様な気がした。

料理が来るまで長寿庵を調べてみた。以下Wikipediaより引用。

長寿庵は関東で最多の店舗数を誇る江戸の蕎麦屋の老舗、「砂場」「更級」と並び、蕎麦御三家のひとつとされる。

元禄時代に京橋五郎兵衛町に「三河屋惣七」が創業。

以来、栗田作次郎、村奈嘉与吉を中心に順次のれんわけが行われ「采女会」「四之橋会」「十日会」「実成会」の4会派が生まれ、一時は関東一円に340店舗を数えるほどであった。

昭和25年に「長睦会」から「長寿会」と改名し、平成14年に法人組織化し「長寿庵協同組合」となり「長寿庵」の屋号は現在登録商標となっている。

「長寿庵」はチェーン店などではなくそれぞれが独立し、規模も商売のやり方、営業形態、メニューも統一せず営業している。

「それぞれの地域にあった形、地域密着の蕎麦屋を目指す」というコンセプトである。

とはいえ、誰もが長寿庵の暖簾を掲げられるわけではなく、どの会派とも長寿庵で修業しそこの店主から認められなければのれん分けは許されない。

製麺や出汁の引き方、食材の見極めなど店を維持してゆくための基本技術をひと通り習得し、なおかつ土地柄にあった味を出すためのいわば応用技術をも習得する必要がある。

それにより、そこの土地にあった味が作られ地域に根差した店舗が開けるという。

…とのことで、

調べてみると意外にもかなり歴史がある蕎麦屋だった事が判明した。

ちなみに「あつぎ長寿庵」は、名店を多く輩出したと評判の高い「四之橋会」に属している様である。

もり 超大盛                  550円+250円

やや細い蕎麦である。

素麺の様に冷たい蕎麦がスルスルと口の中に収まる。

食感は柔らかめで甘みを少し感じる。

量が多い割には飽きもせず、なかなか良い蕎麦であると思った。

一般的に蕎麦粉十割で作った「十割蕎麦」や、蕎麦粉八割とつなぎ二割で作った「二八蕎麦」が本格風と呼ばれる。

しかし、厚木長寿庵では蕎麦粉の比率を本格風と言われる比率よりも低い割合で蕎麦を製麺している。

その理由として「つなぎ」は蕎麦を単につないでくれるという役割だけではなく、

蕎麦粉と混ざって、さらに蕎麦を「よりおいしくしてくれる物」と考えているからだそうだ。哲学を感じる。

醤油が濃いめのツユで、魚介出汁がしっかり出ているつけ汁である。

失礼ながら、店に来る前はチェーン店チックな薄いつけ汁を想像していたけれど、とんでもない。かなり良い辛汁だ。

超大盛用につけ汁の量も2倍なのは「たっぷりつゆにつけたい派」の僕にとっては最高のサービス。

出汁は高知県土佐産の宗田節と鯖節の二種類を使用して毎朝取っているらしい。その出汁で秘伝のかえしを割って、毎日オリジナルのつゆを作っているとの事だ。

これだけ大盛なのになかなか蕎麦のクォリティも高かった。

ズバリ言おう!この店はアタリである!

カツ丼セット  1150円

友人が頼んだセット。

サクサク感を残しつつカツに汁が染みているタイプだそうだ。

1番気になったのは、なぜ「超大盛」が蕎麦屋にあるのか?なぜこんなに量がボリューミーなのか?である。

それにはこの店のストーリーがあった。

あつぎ長寿庵創業当時、この辺りは田園であったが、徐々に町は発展した。

その発展途上の頃、多数の肉体労働者達が店に来るようになり彼らは沢山の料理を注文した。

そこで肉体労働者達に「もっと食べてもらいたい」という想いから自然と量が増えていったそうである。

今では様々な客が来るが「お腹いっぱい食べてもらいたい」という想いは変わらず、当時の量がほぼ基本のまま今日まで続いているとの事だ。

今は2代目がその精神も継いでいる。

結論として、歴史も人情味があって素晴らしい店だった。また通いたい店が増えたな。腹いっぱい食べたい時はまた世話になります。ごちそうさまでした。

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