満留賀

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【住所】神奈川県愛甲郡愛川町半原1626-3
【HP】食べログ

暑い。

今年は雨が降らない梅雨だった。毎日暑い。
宮ヶ瀬ダム辺りをバイクで走った帰りに冷たい盛り蕎麦が
食べたくなる。

宮ヶ瀬ダムから半原小学校入り口の交差点を右折。412号線を厚木方面に走りすぐ左手にある蕎麦屋の満留賀。

満留賀という店名の蕎麦屋は色々なところで見ることが多かった。
調べてみると、満留加(まるか)とは、蕎麦屋を中心とする「暖簾」の一つである。「のれん」とは暖簾名であり屋号名(ブランド)であり、商人の信用、プライドを支えるものである。現代的なチェーン店とは重なる面もあるが、基本的に異なる概念であるとある。

さらに、「のれん満留賀の由来」は、愛知県宝飯郡御津村(現:豊川市御津町)より1893年(明治26)年に単身上京してきた加藤豊造に始まる。
当時の下谷区(現:台東区)佐竹通り(現台東3・4丁目)の「三河屋そば店」に奉公に入り、7年間の修行を積んで独立。
1900年(明治33年)3月、当時の芝区宇田川町(現:東新橋、新橋、浜松町、芝大門)に加藤の加に○を付け「(加)三河屋」(まるかみかわや)として開店した。
ところが、その後「(三)三河屋」という屋号のそば屋が近所に出来たため、「まるか」にするべきかと当時の東京市浅草区浅草松葉町(現在の台東区松が谷)の真宗大谷派・真龍寺の僧であった安藤正純(のちに文部大臣などを歴任)に相談したところ「満留加」の三文字をいただいたという。
「満留賀」はいわゆる吉祥名(賀字)である。
その後「満留賀」は繁栄し、その後のれん分けを続け、300店舗以上を教えるにいたったという。
以上は川崎市幸町の蕎麦屋満留加の由来説であるが、それを裏付ける文献には乏しい。
一般的には、汁が濃いめが特徴とされる。現存する最古の店は1910年頃にできた千代田区内神田「満留賀」といわれる。他に「満る賀」「まるか」もあり、読みも「まるが」もある。業態も蕎麦専門店から大衆食堂まである。厳密な意味の、のれん分けでなく「のれん」の意味があいまいな、あやかり店名も多いとも考えられる。凄い昔まで遡るんだね。

満留賀の駐車場にバイクを停めて中に入る。ゾロゾロ団体客が店の外に出ていくのと鉢合わせ。
店内はテーブル席と座敷席があり入り口近くのテーブル席に着座。

客は俺一人かと思っていたら奥の座敷で常連と思われる人達が宴会をしていた。時折客がガラッと引き戸を開けてきて、「ママー!俺のボトルキープまだ残ってる?」とウエイターいや、ママに聞いていた。この店ボトルキープできるのか、スナック化している。

店の奥には大きい壁掛けタイプのテレビジョンが名探偵コナンを映している。ママが俺に気を利かせてか、プロ野球中継にチャンネルを変える。ママから見て野球が好きそうな男に見えるようだ。

メニューに目を通すと、かつらそばや二色そばに目がいくが、まずは基本のもりそばを確かめたくなる。


大もりそば 750円

5〜6分で運ばれてきた。


蕎麦殻が含まれており蕎麦の風味がする。甘みも十分にあり、なかなかコシもある。

チェーン店みたいなものを想像してたけど、本格的な旨い蕎麦が食べられた。


蕎麦つゆは軽めのかえしに出汁をやや強く感じるもの。喜右衛門の濃いめのツユに慣れているせいか、少し薄めに感じてしまった。

とは言え、この蕎麦は本物。茨城産の蕎麦粉を使用している様子。量もまあまああるのでちゃんと食べた気分になる。ごちそうさまでした。

満留賀」への2件のフィードバック

  1. イチ

    宮ヶ瀬ダムから半原小学校入り口の交差点を右折
             ↑
    なんかねもうイメージ浮かび放し。長距離ツーリングの帰り道。たまにこのコースで帰宅してました。体は疲れでヘロヘロなのに、妙な充実感!

    満留賀って凄い歴史があるんですね。こんなに田舎(ごめんなさい)に名店があるなんて。しかもボトルキープあり(ウケた)。
    カピさんの蕎麦リフト画像。挽ぎぐるみのツヤ&腰麺。美しいなぁ。うまそうだぁ(^q^)。参ったです。
    喜右衛門のつゆよりさらり系なんですね。挽ぐるみの蕎麦には濃い目のつゆがベストマッチ。
    そうだ。喜右衛門の鴨汁蕎麦の季節ですね。行かなきゃ。食事制限がうらめしいイチでした。では。

    返信
    1. カピ 投稿作成者

      蕎麦は美味しかったですよ。濃いめのツユが好きな俺の好みではありませんでしたが、ちゃんとした蕎麦屋でした。

      返信

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